エイレットの作品
先日観察したエイレット (Georg D. Ehret 1708-1770) の作品を、いくつかの側面からご紹介したいと思います。
【歴史的側面から】
ドイツ生まれのエイレットは、交友のあったカール・フォン・リンネを始め、有力なパトロンを得て多くの植物画を残しました。イギリスで結婚後、チェルシー薬草園で学芸員として植物画を教えていたそうです。今日私達が目にするような植物画スタイルを築いた草創期の人物で、シドニー・パーキンソンやルドゥテは彼よりも後に生まれています。日本では若冲がおおよそ同年代です。
エイレットは植物画の世界ではかなりの重要人物なので、ちょうど彼の脂の乗った時期、1763年に描かれたこの作品も間違いなく歴史的価値の高いものではないかと思われます。
【美的側面から】
制作者の目線からこの作品を観察してみると、当時の作品群の中では、描写力、構図、絵具の使い方、計画性など、全てにおいて抜きん出ていると言えます。
鉛筆の下書きをもとに彩色され、鉛筆の線は花の輪郭を表すためにも利用されています。全ての部位に均等な意識が向けられており、花だけを細密に描写してバランスを崩すといったことがありません。花の立体感を細かな線描の集積によって捉え、葉には流れるような躍動感を感じさせながらも的確な平行脈の幅をキープしています。光源をあえて真横ぎみに設定してドラマチックな陰影を演出するなど、鑑賞者の心を掴むための絵画的な工夫が各所に見られます。計画的な手順と迷いのない筆さばきに、自信と余裕が感じられる作品です。
【植物学的側面から】
題材にされたButomusとは、一種一属のハナイという植物です。植物の写真と作品とを比較してみると…、花の大きさや葉のカール具合などに対して、すこーし絵画的な誇張を感じなくもありません。
Butomus
25.6 x 17.5cm
Georg D. Ehret 1763年
©︎ The Board of Trustees of the Royal Botanic Gardens, Kew
【作品の劣化と状態】
作品の外縁部には、度重なる閲覧による使用感が見られ、わずかな変色とともに皮が柔らかくなっています。ヴェラム全体にうねりが見られますが、目立った損傷やシミは見られません。0.2mmほどのごく薄いヴェラムです。
ヴェラムには、当時の作品に共通して見られる白い下地が薄めに施されています。現在市販されている商品のように、絵具を弾くほどの艶やかな表面状態ではなく、より紙に近い描き心地である印象です。描画部分にはわずかに顔料の剥落が見られます。
【顔料と描画技法から】
さらに顔料について、彼の作品を少しさかのぼって検討してみたいと思います。
エイレットがハナイの6年前に描いた作品では、大きな粒子の顔料が薄塗りで重ね塗りされヴェラムが透けて見えているのがわかります。下の画像はトケイソウの副花冠という部位を拡大したものです。
当時の顔料はそれぞれで隠蔽力や粒子の大きさが異なり、現在の透明水彩絵具とはかなり隔たりがあります。まるで日本画の岩絵具を見ているようです。顔料によって展色材の必要量も異なるため、これらを同じ画面上で違和感なく使いこなすには知識と経験が不可欠です。
下の画像では白色顔料の剥落も確認できます。キューの資料によるとエイレットの用いた白色顔料は亜鉛華であるとされ、ハナイの作品に対しても葉の反射光や葉脈に多用されています。花に対しては白の使用量を極力抑えており、染料系の絵具で細密な線描を重ねることで、透明感を失わずに立体感を得ることに成功しています。
下の画像はハナイの葉部分に塗られた顔料を拡大したものです。同じ倍率で撮影した上の顔料との粒子径の差がおわかりいただけると思います。ヴェラムの繊維を覆い隠すようにしっかりと定着した隠ぺい力の高い顔料です。
同じ時代に描かれた植物画作品を観察していると、共通して緑色の表現に対する違和感が感じられます。以前ご紹介した1837年のルドゥテの作品でさえ葉部分にだけ展色材の過多を感じました。その他の作品でも、顔料の粒子が大きすぎてザラザラとした葉や、おそらく絵具が退色してしまった黄色い葉などが見られます。同時代の作品と比較すると、エイレットの豊富な知識と経験値がはっきりと伺えます。
チューブ入りの便利な絵具がない時代、植物画家はアラビアゴムなどの展色材と顔料を混ぜて自ら絵具を用意していました。エイレットの晩年に近づくにつれて、もしかすると弟子が念入りに絵具を用意し、彼は彩色に集中できるようになったのかもしれません。
どちらにしろ、顔料の選択肢も少なく、顔料同士の性質が均質化されていない時代に、これだけの質の作品を描くのは至難の技であったと思われます。その点を踏まえて作品を観察すると、彼の卓越した能力に改めて感動を覚えます。
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